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パワースポットNavi
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■御祭神
天照大御神
■内宮さんのお薦め参拝ルート
内宮御手洗上場を過ぎ瀧祭神 さまを御参りさせていただき、表参道の右奥の裏参道から直進します。
右にまがれば別宮風日祈宮 さまが見えます。小さな橋を渡り風日祈宮 さまを御参りします。特に橋と風日祈宮さまとの間の木々の中は最高のパワースポットです。
次に神楽殿の前を通り内宮正宮で御垣内参拝をすませます。別宮荒祭宮 を参拝します。
そして、社務所にてお神楽を申し出て、神楽殿ににてご祈祷・神楽奉納をすませて、参拝を終了します。パワーをいただけますので、一度同じルートで参拝してみてください。
地図は宇治橋を渡る手前の案内所でいただけます。
(※内宮正宮で御垣内参拝は特別参拝章が必要です。社務所にて式年遷宮の造営のご寄付をすませてからお伺いください。) |
■御祭神
豊受大御神 御鎮座 雄略天皇二十二年
■ご由緒
豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祭り申し上げる豊受大神宮は、内宮(ないくう)に対して外宮(げくう)とも申し上げます。雄略(ゆうりゃく)天皇は、夢の中で天照大御神のお教えをお受けになられ、豊受大御神を丹波(たんば)の国から、内宮にほど近い山田の原にお迎えされました。今からおよそ1500年の昔のことです。
豊受大御神は御饌都神(みけつかみ)とも呼ばれ、御饌、つまり神々にたてまつる食物をつかさどられています。このことから衣食住、ひろく産業の守護神としてあがめられています。
「天照大御神」の食事を司る豊受大御神を祀る「伊勢神宮 豊受大神宮(外宮)」。内宮に行く前に必ず外宮へ参拝する習わしがあり、天皇や皇族方は外宮から参拝される。外宮の奥には神々が食事をされる「御饌殿(みけでん)」があり、毎日朝夕に食事が奉られている。 |
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和歌山県 新宮市 熊野速玉大社
http://www.kumanokaido.com/hayatama/
■御祭神
熊野速玉大社には下記のように熊野十二所権現+神倉山の祭神の13社が祀られています。
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| 社殿名 | 祭神名 |
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上四社 | 第一殿 | 速玉宮 | 熊野速玉大神・伊邪那岐大神 |
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第二殿 | 結宮 | 熊野夫須美大神・伊邪那美大神 |
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第三殿 | 証誠殿 | 家津美御子大神・国常立尊 | 上三殿 |
第四殿 | 若宮 | 天照皇大神 |
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| 神倉宮 | 高倉下命 |
中四社 | 第五殿 | 禅児宮 | 忍穂耳尊高倉下命 おしほみみのみこと |
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第六殿 | 聖宮 | 瓊々杵尊 ににぎのみこと |
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第七殿 | 児宮 | 彦穂々出見尊 ひこほほでみのみこと |
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第八殿 | 子守宮 | うが草葺不合尊(う=慮+鳥、が=茲+鳥) |
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下四社 | 第九殿 |
一万宮
十万宮 |
国狭槌尊 くにさづちのみこと
とよくむぬのみこと |
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第十殿 | 勧請宮 | 泥土煮尊 うひじにはにのみこと |
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第十一殿 | 飛行宮 | 大戸道尊 おおとのじのみこと |
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第十二殿 | 米持宮 | 面足尊 おもだるのみこと |
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■ご由緒
熊野速玉大社は、熊野三山のひとつとして全国に祀る数千社の熊野神社の総本宮です。今から約二千年ほど前の景行天皇五十八年の御世に、熊野三所権現が最初に降臨せられた元宮である神倉山から現在の鎮座地にお遷りになり、これより神倉神社の『旧宮』に対して『新宮』と号したと古書にみえます。
御祭神は、熊野速玉大神(いざなぎのみこと)・熊野夫須美大神(いざなみのみこと)を主神に、十二柱の神々を祀り上げ新宮十二社大権現として全国から崇敬を集めています。
特に、孝謙天皇の御世、日本第一大霊験所の勅額を賜り、熊野三山の中でも逸早く『熊野権現』の称号を賜りました。「権現」とは仮に現われるの意味で、神様は御殿の中のもっとも清浄な奥処に鎮まりましますので、私達の目にはそのお姿を直接見ることができません。そこでそのお姿を仮に仏に変えて、我々の住む俗世界に現われるという考え方が浸透していきます。
奈良朝末期にいたって、熊野速玉大神は衆生の苦しみ、病気を癒す薬師如来として過去世の救済を、またお妃の熊野夫須美大神(熊野那智大社)は現世利益を授ける千手観音菩薩、家津美御子大神は来世浄土へ導く阿弥陀如来(熊野本宮大社)として位置づけられ、山伏や熊野比丘尼によって熊野権現信仰は飛躍的な拡がりを見せ、全国に数千に及ぶ御分社が祀られるにいたりました。
さらに、中世熊野信仰の興隆にともない、皇室、公卿、武士中心から庶民信仰へと発展し、過去世救済、現世利益、来世加護を説く三熊野詣こそ、滅罪・甦りへの道であるとして、「蟻の熊野詣」の諺のごとく熊野街道は賑わったのです。
●参拝時に烏牛王(からすごおう)を授かりましょう。日本で最古のお守りです。 |
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静岡県 三島市 三嶋大社
http://www.mishimataisha.or.jp/
■御祭神
大山祇命(おおやまつみのみこと)、積羽八重事代主神(つみはやえ ことしろぬしのかみ)、御二柱の神を総じて三嶋大明神(みしまだいみょうじん)と称しています。大山祇命は山森農産の守護神として農家の崇敬が篤く、また事代主神は俗に恵比寿様ともいわれ、福徳の神として商・工・漁業者の崇敬が厚い。
■ご由緒
御創建の時は不明であるが、古くより三島の地に御鎮座し、奈良・平安時代の古書にも記録が残る。平安時代中期「延喜の制」には、名神大社に列し、社名・神名の「三嶋」は、地名ともなっている。いよいよ国衙の崇奉を受けることとなった。
御創建の時は不明であるが、古くより三島の地に御鎮座し、奈良・平安時代の古書にも記録が残る。平安時代中期「延喜の制」には、名神大社に列し、社名・神名の「三嶋」は、地名ともなっている。いよいよ国衙の崇奉を受けることとなった。
中世以降、武士の崇敬、殊に伊豆に流された源頼朝は深く崇敬し、源氏再興を祈願した。神助を得てこれが成功するや、社領神宝を寄せ益々崇敬することとなった。この神宝の中でも、頼朝の妻、北条政子の奉納と伝えられる 国宝「梅蒔
絵手箱 及び 内容品 一具」は、当時の最高技術を結集させたものとして知られている。
頼朝旗揚げ成功以来、武門武将の崇敬篤く、又、東海道に面し、伊豆地方の根本である下田街道の起点に位置し、伊豆国 一宮として三嶋大明神の称は広く天下に広まっていった。
中世以降、武士の崇敬、殊に伊豆に流された源頼朝は深く崇敬し、源氏再興を祈願した。神助を得てこれが成功するや、社領神宝を寄せ益々崇敬することとなった。この神宝の中でも、頼朝の妻、北条政子の奉納と伝えられる 国宝「梅蒔
絵手箱 及び 内容品 一具」は、当時の最高技術を結集させたものとして知られている。
頼朝旗揚げ成功以来、武門武将の崇敬篤く、又、東海道に面し、伊豆地方の根本である下田街道の起点に位置し、伊豆国 一宮として三嶋大明神の称は広く天下に広まっていった。 |
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社伝によれば、110年、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東方遠征の折に富士山を遥拝したのに始まるといい、また垂仁天皇の代に、富士山の大噴火を恐れる人々の心を静めるために勅令をもって火山鎮護の神、木花開耶姫を祀ったとする説もある。延暦7年(788年)、甲斐守紀豊庭が現在地に社殿を造営した。
元和元年(1615年)、谷村城主鳥居土佐守成次が現在の本殿を建立、貞享5年(1688年)に社殿が造修された。一時荒廃していたが、享保年間になって、富士講の行者であった村上光清が私財をなげうって再興し、以後、富士信仰、特に富士講の参詣者を集めた。
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和歌山県那智勝浦町 熊野那智大社
http://www.kumanonachitaisha.or.jp/
■御祭神
社殿: 神名 : 本地仏
第一殿(瀧宮) | : | 大己貴命(飛瀧権現): 千手観音 |
第二殿(證証殿) | : | 家津御子大神、国常立尊 : 阿弥陀如来 |
第三殿(中御前) | : | 御子速玉大神 : 薬師如来 |
第四殿(西御前) | : | 熊野夫須美大神 : 千手観音 |
第五殿(若宮) | : | 天照大神:十一面観音 |
第六殿(八社殿) | : |
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御古来の神々と仏とを併せてまつる、いわゆる神仏習合の信仰が行われ、神と仏が一体となった御力を「熊野権現」と呼びます。 |
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■ご由緒
熊野那智大社社伝に「神武天皇が熊野灘から那智の海岸“にしきうら”に御上陸されたとき、那智の山に光が輝くのをみて、この大瀧をさぐり当てられ、神としておまつりになり、その御守護のもとは、八咫烏の導きによって無事大和へお入りになった」と記録されております。
命の根源である水が豊富にあふれ落ちる「那智大瀧」を、この熊野に住む原住民の人々も神武天皇御東征以前からすでに神として奉祀されていたとも伝えられていますが、いずれにいたしましても古代からこの大瀧を「神」としてあがめ、そこに国づくりの神である「大巳貴命」(大国主命)をまつり、また、親神さまである「夫須美神」(伊弉冉尊)をおまつりしていたのであります。
その社殿を、お瀧からほど近く、しかも見晴しのよい現在の社地にお移ししたのは仁徳天皇五年(三一七年)と伝えられています。この時、大瀧を「別宮飛瀧大神」とし、新しい社殿には「夫須美大神」を中心に、国づくりに御縁の深い十二柱の神々をおまつりしました。 やがて仏教が伝来し、役小角を始租とする修験道がおこり、古来の神々と
仏とを併せてまつる、いわゆる神仏習合の信仰が行なわれるようになりました。
その後、「蟻の熊野詣」といわれる程に全国から沢山の人々が熊野を目指すことになるのですが、中でも、皇室の尊崇厚く、延喜七年(九〇七年)十月、宇多上皇の御幸をはじめとして、後白河法皇は三十四回、後鳥羽上皇は二十九回もご参詣の旅を重ねられ、また花山法皇は千日(三年間)の瀧籠りをなされたと記録されております。
なお「熊野」という地名は「隈の処」という語源から発しているといわれていますが、だとすれば、ここは奥深い処、神秘の漂う処ということになります。また「クマ」は「カミ」と同じ語で、「神の野」に通じる地名ということにもなります。
●特にすごいスッポト
那智の大滝はご神体です。「飛瀧神社の大前での正式参拝」はすばらしい祓いの力をいただけます。大滝の目の前でお祓いが受けれます。社務所に事前連絡が必要です。
●参拝時に烏牛王(からすごおう)を授かりましょう。日本で最古のお守りです。 |
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春日大社は、本殿向って右(東)から、第一殿 武甕槌命(タケミカヅチのミコト)、第二殿 経津主命(フツヌシのミコト)、第三殿 天児屋根命(アメノコヤネのミコト)、第四殿 比売神(ヒメガミ)の四柱が祀られているが、タケミカヅチの命とフツヌシの命は水神(自然神・観念神的)、アメノコヤネの命とヒメガミは、祭儀にかかわる司祭者を神格化した神(人格神的)として、神格は、きわめて対照的である。また、タケミカヅチのシンボルは「杉」であり、芸能神の依代(よりしろ:神が依りつく物)である「松」がアメノコヤネの命の御子神を祀る若宮のシンボルであることから、樹神信仰が見られ、御蓋山(みかさやま)の木を伐ることは堅くタブーとされた。平安朝に入ってからは、明らかに藤原氏の氏神信仰が中心となる。
開運の社では祖先祭・祖霊祭に参加させていただいています。 |
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京都でも最も古い神社の一つです。古代豪族賀茂氏の氏神社
(祓殿でのお祓いは、とても気持ちがいいです。)
葵祭で有名な下鴨神社は、正式名称は賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)といい、京都で最も古い神社のひとつ。賀茂川と高野川の合流点、糺(ただす)の森を神域とし、五穀豊穣の神として古代の豪族賀茂氏の信仰の中心。
建築物はほぼ全てが国宝・重要文化財で、上賀茂神社とともに世界遺産に指定されています。境内を流れる御手洗川は、土用の丑の日に足を浸し疫病や病い不氏を祈願する「足つけ神事」や、葵祭の「斎王代の禊の儀」など祓えの神事が執り行われます。 |
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ご祭神は、伊弉諾尊の御子神で、特に風雨を掌られると伝える神、級長津彦命、級長戸辺命をお祭り申し上げています。雨風は農作物に大きな影響を与えますので、神宮では古より正宮に準じて丁重にお祭りしています。
この宮は神御衣祭を除く内宮域内で行われる全ての恒例祭に預りますが、この宮の名にちなむお祭りがあります。毎年5月14日と8月4日の2度、風雨の災害が無いよう、また五穀が豊かに実ることを祈願する風日祈(かざひのみ)祭です。そのご由緒を遠く尋ねますと、延暦23年(804)の『皇太神宮儀式帳』四月例十四日の条に「以御笠縫内人(みかさぬいのうちんど)造奉御蓑廿ニ領、御笠廿ニ蓋、即散(あがち)奉、太神宮三具(中略)風神社一具」とあり、古くは「風神社」とも称されていたことがわかります。 |
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■ご神徳
国造りの神さまとして農業・工業・商業すべての産業開発、 方除、治病、造酒、製薬、禁厭、交通、航海、縁結びなど、 世の中の幸福を増進することを計られた人間生活の守護神とし
て 尊崇されています。
そのご神威は、全国にわたり、古くは朝廷の鎮護として尊崇され、 崇神天皇の時代には、その子供の大田田根子(おおたたねこ)をして 厚く祭らせられ、長く朝廷の加護を受けました。
平安時代には、大神(おおみわ)祭、鎮花(はなしずめ)祭、 三枝(さいくさ)祭が朝廷のお祭りとして絶えることなく斎行され、 臨時の奉幣も多く、神領を寄せられ、神階は最高位の正一
位となり、 延喜の制には官幣の大社として、祈年(としごい)・新嘗(にいなめ)
・月次(つきなみ)・相嘗(あいなめ)のお供物に預かり、 のちに大和国一之宮となり、二十二社の一社に列しました。 |
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和歌山県 田辺市本宮 熊野本宮大社
■ご祭神
第一殿 熊野牟須美神 第二殿 速玉之男神 第三殿 家津美御子大神 第四殿天照皇大神 |
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■ご由緒
崇神天皇六十五年に熊野連〔くまののむらじ・又くまののあたえ〕大斎原(旧社)において、大きな櫟(いちい)の木に三体の月が降りてきたのを不思議に思い「天高くにあるはずの月がどうしてこの様な低いところに降りてこられたのですか」と尋ねましたところその真ん中にある月が答えて曰く、
「我は證誠大権現(家都美御子大神=素戔嗚大神)であり両側の月は両所権現(熊野夫須美大神・速玉之男大神)である。社殿を創って齋き祀れ」
との神勅がくだされ、社殿が造営されたのが始まりとする降臨神話となっております。 |
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社殿までの石段はすごくパワーが強いです。大地のパワー(国津神)が体にジンジン来ます。
ご祈願の中で太鼓をたたいての「大祓い」は圧巻です。 |
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兵庫県 淡路市 伊弉諾神宮 (いざなぎじんぐう)
■ご祭神
伊弉諾大神 配祀 伊弉冉大神 |
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■ご由緒
延喜式内大社の伊佐奈伎神社。一の宮。
『古事記』によれば、高御産巣日神など三柱の神についで、独り神の宇摩志阿斯訶備比古遅神など二柱、以上の五柱の神を別天つ神と云い、次に神世七代の神々が顕れるとされ、その最後が伊弉諾神、伊弉冉神である。
とても空間波動の素晴らしい神社です。物事の始めに開運祈願されると良いと思います。夫婦和合・縁結び・子授けの御利益があるといわれている。 |
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■御祭神
大国主命・美穂津姫命
御鎮座は神代、崇神天皇再興でとてもパワーのあるお宮さまです。
ご神徳は、長寿・縁結び・金運です。ぜひご参拝ください。
毎月お一日は真名井の水(高波動のご神水)の感謝の御祈願を祭行しています。
弁財天さまは、皆様の財運を強化して下さいます。 |
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